「金継ぎのお教室に通いたいのですが」
とホームページに書かれた携帯番号に電話した時、
「本格的なものでなかなか進みませんし、少しずつ、少しずつ進めるものですがそれでも大丈夫ですか?短くても1年は通っていただいてようやく基礎を教えられると思います。」
そう先生に問われたのをよく覚えている。
どこかで聞いた「金継ぎ」という言葉がカッコイイ存在として自分の中にあった。その私を察したかのようにかけた先生の言葉。
「漆芸という奥深〜い世界に足を踏み入れることになるけれど大丈夫?」とも
「地道な作業が多いけれど、そういうのは好き?」とも解釈しうる。
今では先生がどうしてその言葉をかけたのかがわかり、また、そういったものが私は好きであるとも答えられる。
つい熱中して写真など撮っている余裕はなく、まだ進み具合も地道だから、今回は3日分(作業時間6時間の進行状況)の記録。
目次
麦漆の掃除と錆付け
麦漆を塗ってくっつけた時、どうしてもはみ出してしまう部分がある。
そのはみ出た硬化した麦漆を削るのだが、それには彫刻刀やカッターを使う。
刃物で器を傷つけてしまわないか心配になるが、紙やすりを使ったりするよりも傷つきにくく、また案外力を入れて削るようにしても平気なのだ。
麦漆で継がれている部分をカッターの先で溝を作るように線を入れる。はじめのうちはビクビクしていたが、やっているうちに大胆にカッターを動かせるようになる。
そしてその上から錆漆を重ね、小さく欠けている部分も一緒に埋める。
どうしても心配で多めに盛り上げてしまう。
(この後研ぐから大丈夫だよ〜と先生に慰めてもらう笑)
トクサでとぐ
硬化した錆漆を砥草を使って余分な部分を研いでいく。大きくはみ出た部分などは彫刻刀やカッターを使う。
これが結構時間を要し、黙々と行う作業でとても楽しい。
写真の右手に写っているのが砥草。
研ぐ前と後では一目瞭然だ。(左側が研いだ後、右が研ぐ前)
砥草は観賞用に植えたものが増えすぎてしまって困っている人も多いのだとか。教室ではそういった捨ててしまう砥草を譲ってもらっているそうだ。
漆の部分だけが削れて、器自体は全く傷つけない。なんて便利な自然の道具なのだろう。
漆を塗り、また塗り重ねる
錆付けをした後、その上に漆を塗る。
一度硬化させ、少し砥石で研いでもう一度塗り重ねる。
ガラス器だと下の色が透けて見えるそうで、このお皿は中央の装飾の緑に近い色に合わせて緑がかった色漆を塗った。
色漆は時間が経つにつれて色が変化する。硬化した際には色が落ち着く。
また乾かす環境によっても色の出方が異なる。
低めの湿度でゆっくりと硬化させると色が鮮やかになり、高い湿度で急に乾かすと色は落ち着く。そして出来がってすぐは落ち着いた色でも時間が経つにつれて色がまた鮮やかになっていくという。
割れが一箇所のこちらは1回目の塗りではガラス用漆(茶色)を塗り、硬化させた後2回目には中央の色に合わせるように色漆の朱色を重ねた。
全く同じ色で仕上げることもでき、その方が少しはみ出ても違和感がないが、今回は異なる色を重ねることでどこに漆を塗ってどこに塗っていないかが分かりやすいようにした。
ちらっと赤が見えるのも中央の色に重なって綺麗かな、という意図もありながら。
器を見る目
金継ぎを習い始めて3ヶ月が経ち、最近器を見る目が変わってきた。
ガラスの器にしろ陶器にしろ、これがこのように破損したらどういう風に修復できるか、と自然と考えている自分がいる。
壊れることを恐れ、日常使いの器と特別な時の器を分けていた私は、躊躇いなくお気に入りの器を日々使うようになった。
わざと壊すようなことはせずとも、壊れるものは壊れる、壊れたら直そう。そう気が楽になっているのを感じる。
金継ぎできるようになりたいと思うようになった背景にある、壊す心苦しさのようなものが、少しずつ解消されているのを感じる。
現在修繕中の母のお皿も、これが直ったら嬉しいなあ、と母は嬉しそうな顔をしてお皿を委ねてくれた。
自分の気持ちの変化を感じながら、この漆芸見習の延長線上にやりたいことを企み始めている。
もっともっと技術を高め、大袈裟かもしれないが「器を壊す恐れ」を取り除くような行為ができたのなら。
そんな夢を見ながら、今は目の前にある直りかけの器と向き合うばかりである。
続く。
#漆芸見習記 とは…
「漆・金継ぎ教室」に通い始めた筆者が、金継ぎを習得していく様を記録した連載である。出典がなく書かれている情報はその日先生に教わったこと。引用していることは疑問に思って調べた部分。知識が不十分であるため、言い回しや情報に不備があればぜひコメントでご指摘ください。
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