「さびうるし」でうめる【漆芸見習記 #3】

通い始めた漆教室はとても小さな工房で、一度に受講できるのは4名まで。

4人で一つのテーブルを囲んでそれぞれの進捗状況を見ながら受講するのがとても興味深い。

皆2年以上、長い方は10年ほど続けており、作っている作品の高度さに毎回驚かされている。

器の修復をメインでやっている人はおらず、漆塗りの片手間で金継ぎもやっている、といった様子。

やったことのない作業の数々は見ているだけで楽しく、これは先生から直接教えていただくのと同じくらい勉強になる。聞こえてくる専門用語の数々、自分では到底到達するのに時間がかかる作業、アイデア溢れる作品。耳を傾け、目を向ける度に感動がある。

そんな、自分の作業だけでない、先輩受講生の方々の作品も時々写真を撮らせてもらい、載せてみようと思っている。

写真は、2年ほど教室に通ってらっしゃる方の蒔絵最中のもの。

可愛らしい猫の形を、うずらの卵の殻を細かく砕いたもので表現している。

また興味深い素材、うずらの卵。鶏の卵でもできるが、漆が少なくて済むため、厚みの小さいうずらの卵を使ったという。

「集中力が必要だから、少しずつ進めているんです。なかなか進まなくて。」と作り手の方はおっしゃっていたが、出来上がりが楽しみで、つい写真を撮ってしまった。

「さびうるし」を作る

さて、前回は「割れ」をつけるために麦漆を使ったが、今回は「欠け」た部分を補修するために「さびうるし」というものを使う。

さびうるしは「錆漆」と書き、主となるのは砥の粉(とのこ)と呼ばれる、風化した粘板岩(ねんばんがん)の粉(細かな土)。

砥の粉を潰してサラサラの状態にし、少しずつ水を加えていく。

滑らかなピーナッツバターのようになったら、その8割程度の生漆を加えてよく混ぜ合わせていく。

麦漆とは違ってかなり滑らかで練りやすい。

混ぜ合わせたものを少し置いておいた時に表面の色が変わってくれば漆と混ざり合っている証拠だそうだ。

先生曰く「ピーナッツバターがチョコレートスプレッドのようになったらいいかんじ」だそうだ。

欠けた部分に少しこすりつけるようにして錆漆をつける。

麦漆は2週間硬化するのに時間がかかるということであったが、こちらは一日で乾いてしまうのだそう。

この程度の小さな欠けを錆漆で修復するのが一番簡単だそうで、大抵の「3回で終わる短期間金継ぎ教室」のようなものはこの手法が取られているという。

錆漆で埋める作業はそれほど時間がかからなかったため、前回内側と外側の両面に漆を塗ったガラスのピッチャーを、麦漆でくっつけてこの日の作業は終えた。

漆にもいろいろありまして

ガラスや陶器の素地に最初に塗り付けた漆と、今回の錆漆で混ぜた生漆(きうるし)は実は別のもの。

漆といっても精製度合いによって呼び方が異なる。いよいよ区別しないとわからなくなってしまいそうで、ここにも記しておく。(漆の種類は主に『金継ぎの技術書』pp.28-29参照

まず錆漆や麦漆で使用するのが生の漆と書いた「きうるし」。こちらはその名の通りウルシノキから採取した樹液を漉してゴミを除去しただけの漆のこと。水分を多く含んでいるから硬化しやすい。

よく見る透明がかった漆は「木地呂漆(きじろうるし)」または「透漆(すきうるし)」と呼ばれるもの。生漆を「なやし」という攪拌作業と「くろめ」という水分を飛ばす作業を行った精製された漆のこと。

その木地呂漆に鉄分を添加させて酸化したものが呂色漆(ろいろうるし)と呼ばれる真っ黒な漆。木地呂漆に顔料を添加したものが色漆だ。

今回ガラス器が多い私は「ガラス用漆」というものを使っており、これは天然の漆にごく少量の合成樹脂が添加されていて密着度が高いものだそうだ。

漆屋さんのページを見てみると、例えば生漆の中でも「摺用」「下地用」「焼付用」と用途によって異なる漆が売られている。値段も様々だ。

知らなかった漆の世界。漆の種類や手法を一つ一つ知っていくと、漆器の見方も変わってくるような気がする。

「ななこぬり」とやらが面白い

この日、先生に見せていただいたもので「ななこぬり」というものがあった。通常七々子塗と書くそうだ。

津軽塗の技法の一つで、菜種を蒔きつけ、乾いた時にぽろぽろとその種を取ることで小さな輪紋ができるというもの。

「七々子」は菜の花からきているのだろうかと調べてみると、魚の卵のことを「ななこ」というらしい。

青森県漆器協同組合連合会のサイトによれば、その模様から「七子」「魚子」「菜々子」「斜子」などの当て字が存在するという。

津軽塗だと思って調べたが厳密には津軽だけでないことが書かれていた。興味深いので引用しよう。

津軽塗における七々子塗の歴史は定かではないが、津軽塗独自の塗とは思われない。

例えば延宝六年(一六七八)の加賀藩の工芸標本『百工比照』の中に、「ななこ」の名称が見られる。また小浜藩の藩医が延宝年間に記した書物にも「魚子塗」の言葉が見える。

こうしたことから、おそらく藩政時代に他藩との交易ルートを通じて伝播したものと思われる。

青森県漆器協同組合連合会

先生は学校で教えているということもあり、地方の漆器についての資料を出してきてこうして見せてくださる。それが本当に興味深い。

ふと思った。菜種でできるなら大豆を蒔いて文様をつけることもできるのか?

この日、いつか自分で栽培した植物の種を使って漆の上に綺麗な輪紋を描くという新たな夢が生まれたのだった。

続く。

#漆芸見習記 とは… 
「漆・金継ぎ教室」に通い始めた筆者が、金継ぎを習得していく様を記録した連載である。出典がなく書かれている情報はその日先生に教わったこと。引用していることは疑問に思って調べた部分。知識が不十分であるため、言い回しや情報に不備があればぜひコメントでご指摘ください。

2024-03-02|タグ:
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