君は強がりな寂しがり屋。
だから普段は相当な強がりで、「これ」と決めたらなんでもやり通す。
妥協できないから、周りからは「できるひと」に認定されがち。
君は強がりな寂しがり屋。
だから時折見え隠れする、寂しがり屋な一面。
弱りに弱って、どうしようもなく寂しさに駆られて、結局涙をこぼす。
それを知っているのは、いつも涙を吸い取っている、枕と布団と、毛布だけかもしれない。
君は強がりな寂しがり屋。
だから弱い自分を他人に見せられない。
少し見せられるようになったら楽かもしれないけれど。
君は強がりな寂しがり屋。
だから強がるのは嫌いじゃない。ポジティブだし、完璧主義的なところもある。
それは無理しているわけではなくて、自然とそう振舞うの。それが時に、かっこよく見えることもある。
君は強がりな寂しがり屋。
だから時々、強がる自分と寂しがりな自分の違いに、自分で驚いている。
驚いた時、君は決まってため息をつく。
強がりで、寂しがり。
どっちかにしてよ、面倒くさいよ、と思うこともあるでしょう。
でもその二面性は、二面そろってこそ、「君」が形成されて、「君」らしくいられる。
強がりな部分も、寂しがりな部分も。
どっちがいいとか悪いとか、そんなのどうでもよくって、どっちもなくてはならない、そういうものなのよ。
強がりで、寂しがり。
それが君の、素敵なところなのかもしれないね。
(2021年4月14日執筆)
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