ラジオ翻訳、第3弾。
今回もフランスの音声メディア、Louis MediaのMANGERの放送の中から、興味深かった内容の回を翻訳していく。
今回訳すのは第9回目のエピソード。タイトルは、
Pourquoi veut-on que nos plats soient aussi beaux que bons ? (なぜ私たちは料理においしさと同じくらい美しさを求めているのか。)
このエピソードを選んだ理由を書いておくと、私はお菓子を作る一人として「見た目」というのは一つの大切な要素だと思っているからである。「おいしい」を感じに書くと「美味しい」でもあるし。何かしら関係がありそうな、気もする…
それは一つの要素にしかすぎず、それ以上に大切なこだわりや背景や、もちろんおいしさも同じくらい大切だけれども。
SNSの発展によって、消費者の中で「ビジュアル」の重要度が上がったことは、肌感覚で実感している。だからこそ、その現象をどのようにMANGERで取り上げられ、どんな視点を持っているのか、訳したくなった。
それでは参りましょう。
(32分、全部訳すのには無理があるので、重要な要素をかいつまんで訳しています。逆に、付け加えたほうが理解しやすい部分は勝手に解釈を加えています。MANGERの今回のエピソードはこちら。)
目次
イントロダクション
今までのエピソードと同様、ジャーナリストのロリアンヌ・ムリエール(Laurianne Melierre)が話を進めていく。
内容としては主に、
「なぜ私たちは、食べる前に出された料理の美しさを求めるのか。」
「どのようにマーケティングや広告は、美しさをおいしさと同じくらい重要にさせることに成功したのか。」
「なぜ私たちは、美しい料理の写真をネットでシェアする傾向にあるのか。」
ということについて話が進んでいく。
今回のエピソードのインタビュー対象者は、10年間フード・スタイリストとして働くマルレーヌ・ディスポト(Marlène Dispoto)である。マルレーヌはイタリア生まれ、もう何十年もフランスに滞在している方だ。ロリアンヌはマルレーヌの家に招かれ、仕事の様子を見ながら質問していく。
マルレーヌがフード・スタイリストの道を選んだのは、彼女の食へのパッションからだった。食べることが好きだと、だれかとシェアしたくなる。「これがおいしかったの。あなたも食べてみて!」というように。
そして彼女はおいしいものをシェアするとき、どうせだったら「おいしい」だけでなく、「おいしそう(美しい)」という要素もあったらいいと考えるようになったという。
「おいしそう」に見えるのは
はじめに、ロリアンヌはフード・スタイリストとして働くマリアンヌに、仕事において気を付けていることを質問する。その中でマリアンヌはこう答える。
「おいしそう」という見た目は、文化的なものなのよ。
例えば今料理している鶏肉。フランスではおいしそうな鶏肉はちょっとロゼ(赤みがかっている)でしょう。でもイタリアでそれを出したら「そんなのありえない」って言われちゃう。
つまり、その文化を理解しなければ「おいしそう」と思ってもらえないということを説明している。
また、味(le goût)というのは、美しさ(la beauté)と同じように、文化を根源としているため、教育や年代、所属している集団に依存していて、同じように捉えることができない、と説明している。
では、なぜ料理の見た目がそんなに重要なのか、とロリアンヌは問う。
フード・スタイリストという立場においては、レシピ本を見てそれを再現したいと思えるか、そのレシピの材料を使いたいと思えるか、ということが重要でしょう。だってその料理を観察する第一の感覚は視覚だから。
それに、食感というのは口だけで感じるものではないわ。目で見ただけで食感が分かるの。
一皿には、その料理のストーリーを組み込み、見た目としてその料理の説明やインスピレーションを吹き込まなきゃならないのよ。
また、たとえにおいや味が同じであっても、どうしても「目」というものがその料理を判断する最初の段階であることは避けられない、と指摘する。特に「買ってもらいたい」「お店に来てもらいたい」「食べてもらいたい」ということを意識すると、食欲を掻き立てるような、美しくおいしそうな色や盛り付けである必要がある、とも述べている。
盛り付けの歴史
ラジオの中でロリアンヌはフランスで「お皿を盛り付ける」ということがいつから始まったのか、ということを簡単に説明している。
フランスで盛り付けが始まったのは、60年代以降。それ以前は「美しさ」よりも「おいしさ」が重要視されていました。
19世紀、新たな世代のシェフたちが高級レストランを開くようになります。そこでは、サービスマンやメートル・ドテルが客席で肉を切り分け、魚を取り分けるのです。つまり、シェフは厨房にいて、どのようにお皿を見せるか、ということには関与していませんでした。
その後20世紀に入り、レストランの数が上昇していき、より行きやすい存在になりました。そのころから厨房で一人分の量をお皿に盛り付けて提供するようになり、シェフは料理の味だけではなく、お皿の芸術的な点も含めて評価されるようになっていきました。
それから盛り付けの傾向は変わっていきます。それは、外国の影響も受けながら、料理が徐々に肉とソースの料理やパテやテリーヌといったものからより新鮮で斬新なものへ、より技術的な食感を重視したものへと変わっていったことも関係しているのです。
教え込まれた「おいしさ」
いくら見た目が茶色一色で、「おいしそう」に見えなくても、例えばそれがブフ・ブルギニョン(牛肉の赤ワイン煮)であったら「おいしいもの」だと思える。日本だったら煮物がそれに当たるだろうか。
そこに関係しているのは教育であると、ロリアンヌはまとめている。
それは先述の「“おいしそう”というのは文化的である」というのにも関連するが、「おいしそう」と思うのはそれが頭に叩き込まれているからであって、その教育こそが料理をおいしそうと思うかどうかに密接にかかわっている。
その「教育」には広告、マーケティングも含まれている。
広告の影響も関係して、カラフルで輝いていて新鮮である、というのが「おいしい」とイコールであるかのようになってきているという。
また、その料理をおいしそうと思うかということは世代にも関係している。「おいしそう」「価値が高い」と判断するかどうかということは世代によっても異なるというのだ。
料理の写真を撮ること
ロリアンヌは自らの経験から、料理の写真を撮りたいと思うことに関してこう話している。
料理が目の前に出されたとき、はじめに”写真を撮りたい”と思います。思い出として残しておきたいから、美しいからという理由もありますが、自分がどこに行ったのか、何を誰と食べたのかということを周りに見せたいという気持ちもあるのです。
今まで多くの写真をSNSでシェアしましたが、それを振り返ると、自分が選んだレストランや料理が自分自身を象徴したり、あるいはなりたい自分を表そうとしていたのだと気づきました。
2019年3月のTaste of Parisという祭典に際してOpinionWayが行った調査によると、フランス人の40%はSNSでシェアするために写真を撮るということが明らかにされた。
ということは、多くの人がより批評をするようになっていて、よりおいしそうなもの、より視覚的なものを探すことに慣れてきているともいえる。
フード・スタイリストとして
マルレーヌはロリアンヌの経験を聞いてこうコメントした。
SNSでは画像に集中してしまうでしょう。それは料理ではなくて料理の見せ方なの。だから写真上にある料理と本物の料理は全然違うものなのよ。
インタビューをしながら、マルレーヌは料理をどのように美しく見せるかを説明していった。
例えばおいしそうに見えるために、まず窓際の自然光にあたるようにするでしょう。食器も大切だし、料理の量も大切。
これは料理がカラフルだから、周りは少しシックな感じにしたの。寒色はベージュや赤、ピンク、緑とよく合う。お皿の周りには食べかけのパンを置いて、そこに人がいるように見せたの。
テーブルの上というコンテクストも考えて例えばお水のコップも置くことで、料理のほかに何が起こっているのかということを示せるように工夫したわ。小さな物語ね。
まとめ
ロリアンヌはラジオの締めくくりにこのようにまとめている。
私たちは美しいものとそうでないものを、主観的な価値で判断しています。
そして文化や教育、マーケティングが「おいしいもの」や「優れているもの」という基準を形成しているのです。「優れている」というのは食べることだけでなくシェアすることも含まれています。
SNS上では、多かれ少なかれ珍しいものや芸術的に盛り付けているものを高く評価して、味を見せるということはしません。
それは家の中に絵を飾るのと同じようなものです。私たちを喜ばせるだけでなく、私たちが招待した友人たちに、私たちがどのような人間であるかということを示すものでもあるのです。
Radio Info
2020年2月13日放送 #9
タイトル:Pourquoi veut-on que nos plats soient aussi beaux que bons ?
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