スマホを忘れた旅【きまぐれエッセイ】

「あ、スマホを充電したまま持ってくるのを忘れたな。」

それに気づいたのはもうすでに待ち合わせの場所に向かう電車の中だった。

気づいてからおそらく、10分くらいだろうか。

「友達と会う約束をしているのにどうやって連絡を取ろうか?」

「乗換案内なしで予約しているゲストハウスにたどり着けるのだろうか?」

忘れてしまった自分を責めつつ、どうしよう、取りに帰った方がいいのだろうか、と考えていた。

「待ち合わせ場所に遅れます」というメッセージを送ることもできない。

彼の電話番号なんて覚えていないから、公衆電話も使えない。

その10分間はスマホを忘れたことによって「〇〇ない」ことばかりを考えた。考えるしかなかった。

だって、朝充電してあるスマホを見て「これをあとでカバンに入れよう」って思ったのに忘れちゃったんだもの。

4泊5日、慣れない場所で過ごす。スマホなしで。

宿泊先は東京の中心部。

地図と乗換案内なしで歩き回れるだろうか。

はじめの2泊はパートナーも東京にいたから、彼の用事が終わってから合流して夕飯を一緒に食べることになっていた。

予定といえば、友達と会う約束がいくつかあった。1日目と4日目の待ち合わせは埼玉。最後の日は神奈川。電車が頻繁に来る都市だから、電光掲示板を頼りにすれば、乗換に困ることもないだろう。

そうそう、髪を切ってもらうのも決めていた。美容室は私が大学1年生の時にオープンし、それからお世話になっているところだ。技術はさることながら心地よい空間が好きで、それを恋しく思い、予約したのだった。

そんな、5日間の滞在にしてはスカスカの、あってないようなプランを携えて、スマホのない東京旅が始まった。

忘れてしまったのはスマホだけでなく時計もだ。

待ち合わせの時間や予約があるときは、駅の時計で時間を確認しつつ、遅れないように努力した。

なんとか待ち合わせできて、友人との約束は破らずに済んだ。

約束のない時間はもう、自由に、その時を過ごした。

昔祖父が

「ここにいるときは時計を外して、時間を忘れて過ごしてほしい」

とキャンプ場に来るお客さんたちに言っていたのを思い出す。

都会の、皆が時間に追われているような、そんな雰囲気を感じながら、自分は何日の何時何分かも忘れてしまうような……

それは、森の中や畑の中で時間を忘れるのとはまた違った、自分だけ異世界に住んでいるような、不思議な感覚だった。

予定があるようでない旅は、自分の気分と感覚が頼りだ。

こんな感じに動こうかな、と思い描く計画はあっという間に崩れていく。

「たしか○○線に乗れば思い出の場所に着けるはず」

その「はず」を頼りに行ってみる。

道を間違えてしばらく歩くことになっても、いつかたどり着けるだろう、まあ、着けなかったらそれはそれでいいや、と歩いた。

こっちに歩いてみて、なんか違うな、と思ったら反対に歩いてみる。

時間の無駄かって?

だって時間がわからないもの、無駄かどうかもわからないわ。

カフェに入り、一息つく。何時間いるかもわからないけど、コーヒーを飲み終わり、本が区切りのいいところまで読めたら出発する。

ふらっと立ち寄った草木染めのお店で温かそうな靴下を買い、冷えた足を温める。

「雑貨とか文房具とか、そういう小さなお店、ありますか?」

「この道のここのビルに行けば楽しめると思いますよ」

と会話を交わしながら、歩いてゆく。なんと心地いい。

ただ歩き、小さな会話をし、休憩し。

そうやって時間が過ぎていった。

スマホを忘れた自分を責めてしまった1日目の朝を忘れるくらい、5日目にはその身軽さを感じていた。

友と会う時も、大して時間を気にすることもなく、不思議なくらい、身軽だったんだ。

滞在中の過ぎていった時間、歩いた場所や訪れたカフェ、もちろん久しぶりに再会した友人たちとの会話などが自分の中に残っている。

調べものもしない、時計も見ない、ニュースも天気予報も見ない。

予想外で、出会いの連続で、気分に乗せて、時を感じて。

そんな旅があってもいいのかもしれない。

2021-12-30|タグ:
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