家の近くに配置してあって、食事の支度をする前に野菜を採りに行く。
朝、少しだけ手入れして、それから一日が始まる。
春夏秋冬、異なる表情を見せ、多様な種の作物が育つ。
美しくて、居心地がよくて、思わず深呼吸したくなる。
そんな場所としての「菜園」が暮らしの中にあったらどれほど幸せだろう。
すぐに100%自給はできなくとも、少しずつ自分たちのライフスタイルに合わせた方法を模索しながら、農というものを暮らしの一部にしたい。
そう、いつからか思うようになった。
開拓開始
わたしは自らの菜園をとり急ぎ「ピッピのもり」と名付けることにした。
「ピッピ」というのはコセンダングサのことで、くっつき虫として知られるあの草のこと。それがシノと一緒にたくさん生えていて、それゆえ「ピッピのもり」となった。
ピッピのもりは誰も整備していなかった土地で「畑にできるところはないか」と家族に相談したところ「使ってない土地あるよ」と教えてもらった場所だ。
シノを掘り起こし、根っこを取るところからの作業。それには鍬が大活躍した。焦らずゆっくり進めていく。
少し掘ると、土のいい香り。ミミズも多く、ふかふか。
誰も踏み入れず、何もしていなかったその場所が、そんなにふかふか気持ちの良い場所だというのはこのときはじめて知ったのだった。
そうやって一通り根っこをとったら、大きめの石なども取り除いて、腐葉土をいれて、とりあえずレイズドベッドを3つつくることにした。木の枠は、周囲に落ちている木や庭の木を剪定したときに出た木を使った。
一つ目のレイズドベッドを何も考えずに作ってしまったため、少々幅の広すぎる形になってしまった。(一つのレイズドベッドの大きさは大体140㎝×200㎝。)
どこに何を植えようか、と想像は膨らんでくるから今のところはこの大きさでよしとするか。また形を変えることがあったら、今度はもっと作業のしやすさを考えねば。
播種、植付け
できあがったレイズドベッドには、早速いくつか作物を植えることにした。
レイズドベッドができてすぐに植えたものの一つがルッコラ。種は、無料配布していた自家採取のもの。
土壌が合わなかったのか、全然葉が出てこないなあ、と思いながら放置していたらあまり収穫しないうちに花が咲いていた。こういうこともある。
それでも何度か収穫し、ピザの上にのせたりサラダにしたりして食べた。トマトとオリーブオイルと塩と一緒に食べるとたまらない。
ルッコラ好きの我が家。もうすでに新たな種を蒔いている。
直播では白カブや金カブ、黒丸ダイコンなども植えた。
また、育苗ポッドでミニトマト、マリーゴールド、ナスタチウム、リーフレタス、トレビス、食用ホオズキ、イタリアンナスなども育て、5月から6月にかけてピッピのもりに定植していった。
ほとんど種から育てたが、苗を購入したものもある。
それはシシトウとピーマン。やはり夏に食べたくなる野菜たち。
それらと一緒に植えようと、相性のよいシソの苗も購入して隣り合わせに植えた。それにしてもちょっと近すぎたかしら。
ハーブのコーナー
菜園の片隅にはスパイラルハーブ菜園も設けた。
形としてはぐるぐると反時計回りに石が積み重ねられ、その間に植物を植えていくというもの。石が蓄熱になるうえ、高低差によって多様な気象条件を創出できるという利点がある。
かねてから菜園にそれを設けたいと思っていて、早速つくってみることにした。石は近頃管理するようになった田んぼの周辺で落ちているものや庭に落ちているものを拾って運んだ。
完成してすぐに植えたハーブは、ローズマリー、タイム、グリークオレガノ、レモンバーム、レモンバジル、バジル、コリアンダー、チャービル、パセリ、チャイブ、ペパーミント。
本来は多年草のものを中心に植えようと思っていたが、今回は手持ちの種で育ったものを植え付けた。(ローズマリーとミントは苗を購入した。)
レイズドベッドの片隅でもハーブを植えていて、その一つがカモミールだ。こちらは母が種を植えて育てていた苗。いい香りがする。
カモミールはキャベツのコンパニオンプランツでもあり、生育を促進させたり味をよくするとということでキャベツの近くにも植えた。
キャベツは、カモミールと隣り合わせで植えたところとカモミールを近くに植えていないところの2か所で栽培することにしたから、味や生育に差が出るのかこれからが楽しみだ。
暮らしに寄り添う菜園
4月の末に開拓しはじめたこの場所も、いつの間にか様々な植物が育つ菜園へと近づいている。
大学生のころ、農家さんへ援農に行ったり、周囲の菜園を見たりしながら、自分だったらどんな菜園にするだろうか、と想像することが多かった。
理想にはまだ遠いが、この小さな小さな菜園が(今のところ)毎日足を運びたいと思ってしまう存在になっていることは嬉しく思う。
自給のための菜園というのはただ野菜を生産する場所ではなくて、そこで作業する人(+そこを訪れる人)の物語も存在しているところのような気がしている。
誰のためでもなく汗を流してひと休みして、空を眺める。毎日観察して土をつくって種を蒔き、メンテナンスをして収穫をする。
販売が一番の目的でなければ生産性を最優先にすることもない。その分、なにか遊び心とかその家の食卓事情とか、そういうものも表れてくるような…
他者から見たらそれは単なる「野菜栽培の場」かもしれないが、菜園をつくっている側にはあらゆるストーリーが見えているかもしれない。
土のこと、種のこと、虫のこと、草のこと、風や雨や気温のこと…通りがかった人との会話。そして何より、毎日そこで過ごす、ちょっとした時間。
わたしの周りにいる、菜園保持者もきっとそう。
最近仲良くなった田んぼの近くのおばあちゃんも、わたしが子どものころに畑で遊ばせてくれたご夫婦も、菜園にお花をたくさん植えているおばちゃんも、几帳面にトンネルや支柱を立てているあのおじちゃんも。
みんなそれぞれ、全然違う畑を持っていて、それが彼らの生活の中にあるように見える。畑を見るとその人のことがほんの少しわかるような、そんな気もする。
「その人らしさ」が溢れる菜園というのは、どんな菜園よりも素敵に見える。
「ピッピのもり」も自分たちの暮らしに寄り添う、自分らしさが表れるような菜園にしていければと思う。
(つづく)
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