言語習得の楽しさ ~語学留学を終えて~

これは、フランス語がちょっとわかるようになってきて、現地のイベントやカンファレンスに参加するようになって、嬉しくなっていた時に思ったこと。

実はずっと、語学留学に時間を費やすことを躊躇していた。だって、翻訳や通訳などを職業にしない限り語学はツールに過ぎないし、語学力なんて目に見えない。テストは受けて点数は上がったとしても、それは語学力に比例していない時もある。

モチベーションの高い多国籍なクラスメイト達と受ける授業は刺激が強くて、結果的にはその躊躇は無駄だったと思うようになるけれど、この日記を書いた時はまだ模索していた。

模索しながらも、毎日一生懸命やっているとふとした時に、喜びを感じる。その喜びがクセになるし、それを忘れずにコツコツやりたいと思う。

私にとって日記は時に、自分を励ます道具となる。

これもその一つだった。

「あ、自分フランス語話しているんだ」という感覚。

フランスにフランス語を習得するために来ているのだから当たり前なのだけれど、フランス語を使って普通に現地の人と会話をしている自分を俯瞰してみた時なんだか不思議な気分になる。

「あれ、いま私フランス語で普通に自分の思っていること表現できてる!?」と。

英語を習得した時もそうだった。それまでは話すことができなかったような人といつの間にか知り合い、意見を交換し、未知の文化に触れることが、言語というツールを身につけただけで可能になることがすごく不思議に感じたのを覚えている。そして、半分もわからなかったラジオの内容がいつの間にか60%、80%、90%と理解できるようになったのは言語を身につけたいと思う学生にとっては何とも楽しくて何よりのモチベーションだった。

今の英語力もフランス語力も、レベルは高いほうではないが、自分の身の周りにある英語やフランス語が日本語と同じようにナチュラルに頭の中に入ってきて理解できるこの感覚を感じるたびに言語の面白さを感じる。

私が本格的に言語の魅力にハマったのは高校生のころ。英語の英才教育なんて受けてないし、海外にも行ったことがないし、塾なんて行ったことがない私はどうしたら英語を上達できるのだろうかと必死だった。

田舎の公立高校には会話の授業などなく、リスニングも受験のためのゆっくりと話されている、いわば日本の学校のための英語。だからネイティブと会話をできる環境に身を置き、ラジオを毎日聞き、日記やエッセイを書くことで英語が「使えない」から「ちょっと使える」状態に持っていこうとした。高校を卒業するときには日常会話は問題なく分かるレベルまでやっとわかるようになった。

それから大学生になったと同時にフランス語というまた違った言語にも足を踏み入れることにしたのだった。

中学生のころ、仲良くなった友人が6年間のカナダ生活から帰ってきたばかりのバリバリの帰国子女で、彼女に憧れていた私にとっては英語ができるようになりたいと思うことは必然だったのかもしれない。

とはいえ当時の一番の苦手科目は英語で、単語を覚えるのにも時間がかかったし文法を覚えるのにも苦労した。あくまでそれは学校の「英語」という科目の話だが。

それからもう7年が経とうとしていて今思うことは、言語は身につけたいと思ったら身につけられるということ。(ネイティブにはなれなくても。)

自分がどうしたら単語を使えるようになって、話しを理解できるようになって、話せて、書けるようになるのかということを自分で理解して、あとはそれを信じてコツコツ毎日続ける。毎日10分、30分でも。

それが一番なんじゃないかと思う。私にとって言語を身につけるための特効薬があるとすれば、売れている単語帳でも、スパルタ英会話レッスンでもなく、コツコツ続ける忍耐力とでもいえようか。

留学前の話だが、フランス語のラジオの内容が何となく理解できるようになるのに半年かかった。単純計算で182日。その間、ところどころ単語は理解できても、フランス語は流れる音楽のように頭の中を通りすぎてゆく。それでも意味があると信じて続けていたら、いつの間にか内容が入ってくるようになった。

全く分からなかったのにラジオを聞いてうなずいている自分がいて驚いたが、言語って多分そういうものだと思う。少しずつ、少しずつ分かる単語が増えて、言語のリズムになれて、その速さになれて。そうやって積み重ねたものがいつの間にか身についている。そういうもの。

私がラジオを選んだのは、耳を使って学習することが自分にあっていると思っているから。あとは単純にラジオが好きで、乗り物酔いする私にとって文字を読まなくてよいラジオは通学のお供であり、一人暮らしの家事をするときの必需品だから。

言語は最低1つ使えれば、問題なく生活でき、働き、意見交換し、情報だって得られる。日本で生まれ育った私のような日本人にとって他の言語を習得することはa, b, cから始めることがほとんどだし、時間を要する。

それでも言語を身につけたいと思うのは、言語が増えただけ関わる人や得られる情報の幅が広がるから。何より、人とのつながりが面白い。そしてそれが楽しい。関わるコミュニティの幅が広がり、無意識のうちにそれまで出会わなかった文化に触れている。

それを覚えてしまった私は、フランス語の次はイタリア語、その次は何語に手をつけようかと今からワクワクしている。

帰国して… 改めて考える言語の面白さ

私には中国人の大親友がいる。はじめてフランスに向かう時、イスタンブールからリヨン行きの飛行機を待っていた時に出会った彼女。偶然目の前にアジア人がいるなあと思って「リヨンに行くの?」「何してるの?」なんて話しかけたら、学生で、同じ学校で、しかも同じクラスで授業を受けることになり、今では何でも話せる大切な人になっている。

その彼女は、なんとフランス語も英語も独学で、日本にいたら「ペラペラ」という単語を言いたくなるような流暢さ。使う単語も言い回しも一工夫されているのが伝わる。はじめはすごいなあ、とただただ彼女を見ていたけれど、彼女の言語に対する考え方は、「単なるツールとしての言語」の次元を超えている。

彼女は、「言語は、人のバックグラウンド、知識、階級、話術、自信などが瞬時に判断できるものである。」と言う。

言われるまでしっかりと考えたことがなかったが、言語である程度その人がどの程度の教養があり、どんな人たちと普段一緒にいるのかということは判断できる。(それが百発百中でないにせよ)

どうせ言語を学ぶなら、それは「汚い」ものよりも「美しくきれいなもの」を得たいと思うのは珍しくないと思うが、彼女の徹底ぶりは本当に頭が下がる。

発音、イントネーション、アクセント。

日本にいると、いかにネイティブのように話すか、ということにばかり焦点を当てがちという印象があるが(英語だと多くは例えばアメリカ英語のようなRのサウンドやLのサウンドを真似する)、必ずしも私たちの接する「ネイティブ」が自分の理想的な話し方をしているかというとそうではない。

語尾を上げるのか、下げるのか。どの単語をチョイスするのか。

同じ文脈でも、単語、言い回し、話のリズムによって、自分の人となりを表しているのだとしたら、それは自分の日本語さえも研究したくなる。

彼女に言わせると、スピーキング能力を身につける方法はこうだ。

「一番の言語の勉強法、特に話すということに対する勉強法は、自分がこの人のように話したいという人を見つけ、真似をすることから始める。その人を見つける際には、発音、イントネーション、アクセントなど言語に関わる要素、そしてその人の人柄、知識や話術までもを観察するのだ。」

新しい言語を話せるようになるだけでも相当の時間を要するのに、ここまで考えて言語を習得する姿は、同じく言語を学ぶ人間として見習いたいといつも思わせてくれる。

最後に彼女の励まされる一言を引用して終わりたい。

言語は毎日勉強しなければならない。たとえ10分でも、それは6か月後には大きな差になる。あなたは6か月後に「ああ、なんであの時たったの10分を言語学習に使わなかったのだろう」と思いたい?思いたくないでしょ。だから私は毎日言語と向き合うの。

ちなみに彼女は大学では社会学を専攻していた。今は哲学の勉強に熱心である。

2020-05-26|タグ:
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