【自然を師と仰ぐ。物少なに愛情多し。】子育てについて考える

これは生きる上で大切なことって何だろう、と考えていた時にぽっと浮かんだもの。まとまりのない、ひとりごと。

最近改めて子育て・教育について考えることがある。

20も過ぎれば将来のことも考えるし、子どもへの関心も深まる。

そもそも、子育てと教育の違いとは何だろうか。

大辞林で「教育」と引くと「他人に対して意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。」とある。「広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。」ともある。学校教育を見ると、それは“知識や技能を与えることによって”とも捉えられる。

一方、「子育て」は「子を育てること。育児。」とある。では子を育てることって何だろう。

今回は自分が受けてきた「子育て」を少し振り返りながら、本当に大切なものとは何なのかを少し考えてみたいと思う。21歳の学生が語る身分ではないのは十分承知しながら。

大切なのは愛

私は実家が田舎だということはもちろん、保育園がまた豊かなところで育った。それは森の中にあって、体力づくりのための遊具は鉄棒と登り棒とうんていのみ。

ちなみに、逆上がりができないこどもはいない。手には血豆をつくりながら、とにかく諦めないでやるのがその園のルールみたいなものだから。でもそれでもこども同士教え合って、励まし合ってみんなできるようになる。

数少ない遊具のほかは、山。それがまたなんとも豊かなのだ。

小さな生き物はもちろん、野ウサギ、カモシカなど、彼らのフンを見つけては楽しんでいた。泥まみれになって毎日真っ黒になって家に帰る。

秋になったら田んぼでイナゴをつかまえて佃煮にし、冬になったら山に焚き木拾いに行く。焚火を囲んでみんなで暖まり、おしゃべり。

ヤギ、馬、犬の世話をして、冬でも裸足で雑巾がけをするのが日課。おかげで私は今でも冬に素足で下駄をはいている。(笑)

給食は野菜中心で、季節のものをたくさん食べさせる。保育園の一角でつくられるその給食がとびきりおいしくて、よく考えられている。おいしいお米においしい味噌汁。味噌は大豆から作る。幼児が1歳の誕生日を迎えるたびにお餅つきをしてお餅をふるまい、イベントがあれば焼きそばをふるまう。

それらは全部、愛だったんだ。今になってハッとする。

園長は私が入園するとき、両親に言ったという。

「遊具は必要ない。必要なのは愛。」

それはきっと保育園の子育てを物語っている。

愛情が子どもの心を育てる。それが、心育てが、子育ての神髄なのだと思う。

読み書きは教えない

私が行った保育園には「勉強」の時間は一切なかった。ここでいう勉強は机に向かって読み書きや算数をする時間のこと。(それは教育というのかな。)

だから私が小学一年生で入学した時、ひらがなもカタカナも書けなかったし、自分の名前さえも書き方を知らなかった。

はじめは戸惑ったけれど、別に書けないからといって小学校の授業がつまらなくなることはなかったし、困ることだってなかった。

保育園では読み書き以上のことを学んだのではないかと思っている。

園長や保育士さんたちの想いは少なからず受け取ったつもり。だって6才の私の目は輝いていたから。

(毎年誕生に担任の保育士さんからもらうカード。これは保育園に通い始めるとみんなが毎年もらうもの。私は2才から行き始めたから、4枚のカードがある。大好きな絵本も切り抜いてくれて、メッセージも書いてある。字を習わない子どもに向けて丁寧にメッセージを書くのは、こうやってあとから読めるようにするためなのだろう。)

三つ編みの仕方を習得して布で縄跳びをつくったり、燃えやすい焚き木を選んだり、自分で雑巾を縫ったり、掃除の仕方を工夫することを覚えたり。

性別を問わず、こどもたちは皆「生きる」上で大切なことを身につけてゆく。

なんでもないような手仕事は重要でないように見えて、我々人間にとって不可欠な最低限の「知恵」なのではないかと思う。そういうことができることによって、豊かで楽しい生活が送れる。

多分それが、園の考える子育てのひとつなのではないかと思う。

心を豊かに?

保育園では物心つくころからみんな歌っているくらい、なにかにつけて歌を歌う。ピアノを誰かが弾き始めると、たちまちピアノの周りにこどもたちが集まって元気よく歌い始めるのだ。

みんなで歌を通じてつながるのはとても楽しくて、その園に通うほとんどのこどもは歌が好きだったように振り返る。田んぼ道を散歩しながら歌、焚き火を囲んで歌。お互いの顔を見ながら笑顔で歌を歌う様子は今でも思い浮かぶほど、それはそれは、幸せな時間だった。

森は生きている 風だって雲だって 小川のせせらぎだって 生きている

森は生きている 氷に閉ざされたマツユキソウだって 生きている

森と空を私は見た 生きている者たちの笑う声、話す言葉

燃えている火よ あふれる力よ 森は生きている 森は生きている

オペラ『森は生きている』より

これは、私が大好きなオペラ、『森は生きている』という作品の中の歌詞。セリフをほぼ暗唱できるくらいまで覚えているほど、保育園の送り迎えの車の中で繰り返し聞いていた。

このオペラを演じる「こんにゃく座」という小さな劇団には保育園で出会った。

(こんにゃく座の公演は、卒園してからも行き続けている。最近は行けていないが、これらは観に行った公演の一部。)

保育園では定期的に音楽家や劇団を招いて公演を行っているのだ。保育士さんたちが行う劇も毎年あった。

小さなころからそういう芸術との出会いを作ってくれたのもまた、保育園だった。

美しいものとのふれあいは心を豊かにするのではないかと、ありきたりだが感じる。美しいものは、自然も含めて。直接的に自分の人生に役に立つというわけではないかもしれないことが、実は私たちに影響を与えているのではないかと。

心を豊かにするということは、想像力を豊かにする、我々を寛容にするということだとも思う。つまり相手のことを思いやったり状況を想像する力を養うことにもつながるのではないだろうか。

自然と触れ合ったり、芸術に触れさせることだって、心を育てるという意味で、子育ての一部なのかもしれない。

学童保育も豊かな時間だった

保育園では、小学生のために夏休みの学童保育というものがあって、私は小学4年生まで毎年夏になると通っていた。そこではまず、朝1時間くらい「せいざ」というものを行っていた。文字通り正座をして目をつぶり、詩を暗唱するというもの。私は今でも宮沢賢治の『雨にも負けず』や蘇軾の『春夜』など暗唱できる。

『春夜』は短いので引用しておきます。こどもにとっては音が重要なのでカッコの中には読み方を。

春 宵 一 刻 値 千 金 (しゅんしょういっこくあたいせんきん)

花 有 清 香 月 有 陰 (はなにせいこうありつきにかげあり)

歌 管 楼 台 声 細 細 (かかんろうだいこえさいさい)

鞦 韆 院 落 夜 沈 沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん)

蘇 東坡(1036~1101)

「勉強」は教えないけれど詩に触れさせる。ちなみに意味は聞かされない。(暗唱することは強制ではなく園長の後について言っているうちにみんな自然と覚えている。)

それは夏休みの宿題だけをやるよりも、私の夏休みを豊かな時間にしてくれたのではないかと今では思う。

小学生の時は意味が分からなかった私だが、あの時感じていた居心地の良さ、この詩のリズムに身をゆだねる感覚が私は好きだった。足はとっても痛かったけれど。(笑)

わからないから教えないのではなくて、わからないかもしれないけれど、こどもなりに感じ取るから触れさせることに意味があるのかもしれない。

そして学童保育のもう一つの醍醐味はキャンプ。

夏の終わりに保育園の近くのキャンプ場でキャンプをする。川で遊び、料理をし、山で思いっきり遊ぶその機会はこどもたちにとって最高に楽しい時間だった。

私がたまごっち以外のゲームらしいゲームを生涯でやったことがないのは(笑)、おもちゃを使わなくとも楽しむことを保育園での生活そして自然とのふれあいから教えてもらったからなのではないかと思ったりもする。

自然の中で美しさを見つけてそれを見ながら楽しめることほど幸せなことはない。その美しさは、泥だっていいんだ。

子どもに教えるべきものとは

私は小さいころに学ぶべきものとは何なのかを考えた時に、それは必ずしも読み書きだけではないのではないかと思う。読み書きの前に、ちゃんと子育てをしないと。

それは、いただくものがどこから来ているとか、生活する上で大切なこととか、人間を豊かにするもの/こととか。そして、自分を肯定すること(みんなちがうから楽しいということ)とか、愛を受け取っているということとか。

毎日たくさんのことを肌で吸収していく子どもにだからこそ、教えるべきことがあるのではないだろうか。

人間として最低限の「知恵」を身につける。土に触れ、においをかぎ、大地の豊かさと向き合う。季節の野菜を食し、「おいしいもの」を学ぶ。

単純で、泥くさくて、田舎臭いかもしれないけれど、そこから学ぶもの、得るものは想像以上に大きい。それが子どもたちの根本的な軸を作るのではないかと思う。

それに。

森で育ったこどもは、強い。たくましい。

自然に存在する微生物と触れ合っているから免疫力が上がるということに加えて、医食同源と考える園のパワフルな食事もまたこどもたちの身体をつくっている。

そして、何時何が起ころうとも、生きていく力を、知恵を、身につけていることは人間として強くさせる。つらいことが自分に降りかかってきたとき、それを対処するための方法だって、自然の中で生きていれば無意識のうちに身につく。

それらは、忘れてはならない大切なことなのではないかと思う。

最後に。

園長は詩をつくるんです。行事のたびに親たちに渡したりするんですが、母が大切にとっておいた詩たちを探したら「子育て訓」というものを見つけたので、引用して終わりにしたいと思います。

自然を師と仰ぎ

友に交わり 道を知る

足で考え 手で想ひ

事の真髄を探れり

物は少なに 愛情多し

不便を常とし 不自由を旨とす

無駄を重ねて 意味を成し

時を稼ぎて成就せり

今だ思ひに勝る例なし

自ら生きるを以って 子育つなり

たくお

結婚をするのかも子どもをもつのかも、今の私には何もわかりませんが、もし自分が親になることがあったら土に触れ、手を動かし、心を豊かにするものに触れる、そんな機会をきちんと与えたいとひそかに思っている私です。保育園が私に与えてくれた、「子育て」のように。

ここまで目を通してくださってありがとうございます。

調べてみたら私が通った保育園、こどもの森保育園のYouTubeを見つけました。もし興味のある方がいれば、こちらです。

それでは、また。

※表記について

森で育つこどもを「こども」と書き、広い意味での子どもを「子ども」と表記しています。

「こども」と書くのは、私の行っていた保育園の名前がひらがなだからです。そこに通う子どもたちはみな「もりのこ」といいます。(たけのこみたいですね。)

2020-05-05|タグ:
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