【きまぐれエッセイ】朝の小さな楽しみ

バス停までのたった6分の道のり。慣れ親しんだその道はなにも特別なことはなく、朝の楽しみといえば、山がきれいに見えるだとか、ご近所さんの畑で夏野菜が順調に育っているだとか、そういうことだった。

数日前から、その小さな楽しみの中に一つ仲間入りしたことがある。

それはネコたちに挨拶をすること。いや、一方的に「おはよう」と言うだけだから挨拶と言えないかもしれないが。

今日も元気にしてるかな、と草の中をのぞくのが、朝のなんでもない、でも結構大きな楽しみとなった。

そう、ネコ“たち”と表現したのは1匹ではないからだ。まだ生まれてまもないであろう赤ん坊ネコたちが見た限りでも5匹はいる。そして母ネコと思われるひと回り大きなネコが1匹。

ネコたちを見つけることになったのは、何やらカサカサと音が聞こえたのがきっかけであった。

カサカサ、カサカサ。

うん?なんだろう、キジだろうか。

というのも、草むらのカサカサといえば、キジたちが歩いていることの多い場所なのだ。

そう思いながら覗くと、小さなネコたちが物珍しそうにこちらを見つめていた。

怪しい敵が来たと思ったらしく、のそのそと後退りしながら次々と隠れていく小さなネコたち。逃げているにしては、やけに動きはのんびりとしていた。その日はおやネコは顔を出すことなく、こネコたちがこちらを見ているだけだった。

ところが次の日から、こネコのニャー、カサカサという音に加えてシャーッという声が聞こえるようになった。よくよく草むらをのぞいてみると、そこには大きなネコが1匹、こちらを見ながら怖い顔をしている。

何もしないさ、ただ挨拶したいのよ。

そう思うのはこちらの都合で、彼らにとっては大きな人間が、いかに恐ろしく見えているのだろうか、と想像する。

驚かせてごめんね。みんな元気かな、ってそう思ってつい声をかけてしまったの。今日も元気にね。

そう話しかけて遠ざかる。

どうか、元気で。生まれてきた以上、元気でいてほしい。そう願うのも、人間の勝手なのだろうが。

うちの近所では、時々野良ネコを見ることがある。町中(まちなか)よりも安全だし、ネコやキジや、リスたちが住処を作れそうな草むらが多数存在していて、実際様々な動物を見ることがある。

その動物たちの中でも、ネコは、おそらく誰か人間が飼いネコを逃がしたかなにかで、野良ネコとなり、繁殖が続き、家族が増えていると思われる。

飼いネコは人間に慣れていて、野良ネコはそうではない。だからネコたちがどんな環境で生活しているのかということは、一声かければすぐにわかる。

飼いネコといえば、近所でよく知られたネコが1匹いる。名前は「ケンジロウ」。

赤い鈴のついた首輪が目印。

ケンジロウは帰る家がありながら、うちの庭に勝手に侵入してくるくらい自由なネコだ。

私が小学生のころ(13年前くらい)から知っているネコで、今でも道端を歩いているのを見かける。

歳を取ったということが顕著になったのは最近のこと。判断が鈍っているのか、目が見えなくなっているのか、車が通ろうとしたときでも、ゆっくりと避ける姿からその衰えは見て取れる。もう相当なおじいさんネコなのだ。

おじいさんになったケンジロウが、散歩の頻度を減らし、道端でネコを見ることが少なくなっていたこの頃だった。そんなときに発見したネコの家族。

かわいいとか、愛おしいとか、そういう感情よりも、今日もそこにいるかな、という気持ちでのぞく。

別に触るわけでも、近寄るわけでもなく、ただそうっと、草の中をのぞくのだ。

そこにいる小さな顔たちとおやネコのキリリとした目を見て、私はなぜかそれらの存在にホッとする。

私に警戒するように、きっと自然界には厳しい現実が待ち受けている。車の通りが多ければ、一歩間違えればその被害を被る可能性もなくはない。食べ物に困ることだって少なくないはずだ。

だから私は草むらをのぞいて耳を澄ませる。

今日も元気かな。

ニャーニャー言って、カサカサしているかな。

(2021年6月1日執筆)

サムネイルはイメージで引用している。まさにこのような色合いのネコたち。

そしてこちらはいつもネコがいた場所の写真。写真を撮ろうとカメラを持っていくときに限って会えない。

 きまぐれエッセイ

 少し複雑な心情や、心温まるエピソードなど。気ままに、気取らず、なめらかに。

2021-05-25|タグ:
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