22歳になって感じること。

22歳になった。何が変わるわけでもなく、ただただ毎日同じようなことをして過ごしながら、これでよいのかと思いながら、でも楽しく、少しは忙しく、学生生活の最後の年を過ごしている。

21歳の一年、いろいろなことがありすぎて、なんだかよくわからなくなる時もあった。その中でもフランスでの愛を感じた日々、そして大切な出会い。感謝の気持ちや命のはかなさを感じては、空を見るだけで涙があふれてくる、ということが何度あったか。そんな風にマイペースに、前に進み、後戻りし、ということを繰り返しながら、一年が終わってしまった。22歳が始まり、心新たにと思いつつも、相変わらずマイペースにのんびりとしている。

これまで、一人っ子ということもあって、一人で考えて一人で決断して(本当は周りがいなければ今の自分はいないはずなのに)意地を張って一人でなんでもやろうと決めつけて、そうやって生活してきてしまったように思う。茎が強すぎてちょっとの雨風では倒れないような、そんな芯が強すぎる人になってしまったなあ、と少し反省する。「尊敬するよ」という言葉を友人たちからもらう度に、正直少し心が痛む。その言葉が自分とその人の境目を作っているような気がして。尊敬してもらえるに値する人であろうと、弱い部分を出せなくなってしまうのも、少し辛かったりする。

それでも落ち込んだ時に友人が言ってくれた “you are inspiring” という言葉に救われたことがあった。自分を認めてくれる友人の存在は時に、自分で自分の価値が見出せなくなった時に、自分のことを救ってくれるんだということに気づいた瞬間だった。

それに、マイペースでいられるのはこのなかなか折れない茎を持っているからなのかもしれない。そう思いつつ、最近は茎よりも大切なものがあるように感じている。

茎は折れたり、時に枯れたりしてもよいのではないか。むしろ見た目の強い、太い茎である必要はない。要らない意地を張る必要はない。でも、本当に枯らしていけないのは、根なのではないか。根っこ、見えない部分、でも自分の養分を得、しっかりと土に這いつくばっている部分。その部分こそ、太く、強く、長くなるように精進していけばいいのではないか。

そう思うと、なんだか気持ちが楽になるような気がする。だから、茎が折れたり、美しいお花やおいしい実がならない時があったりしても、気にせずに生きていければいいのかな、と思ったりしている。やっぱり私はマイペースだ…(笑)

留学中、授業中にこっそり友人が私のノートに書いてくれたイラスト。

さて、日本の大学4年生というのは、進路が決まっている人が多い。

いわゆる就活の「し」の字がどこにも見えない私は、周りからは「これからどうするの?」と何度も何度も聞かれ、「わからない」と適当に答える。それはみんなが心配するはずだ。見通しがついたら周囲にも伝えよう、ブログにも書こうと思うが、今はまだ伝える状態にないから「わからない」が正直な答えなのは間違いでない。

自由な私は最近、農とエコロジーについて学んでいる。といってもまだ文献を読んでいる段階で、ただの未熟な学生のお遊び程度。農業について詳しくもなく、まともに自分で野菜も育てられない人間が、自然とは、農とは、食とは、なんてことを考えている。なんと偉そうに。

食べるということが大好きで、お菓子作りが大好きで、料理が大好きで、自然が大好きな私は、気づいたら農という分野に行きついていた。小さいころに描いた、「かぼちゃを作るおばちゃんになりたい」という夢は、ただただ野菜が好きな小さな女の子の小さな夢であったが、今は「かぼちゃくらい作れる人間になりたい」とはっきり言える人になった。

「かぼちゃを作るおばちゃんになりたい」から始まり、「好きな劇団の役者になりたい」「歯科医師になりたい」「専門看護師になりたい」「小児科医になりたい」「お菓子屋になりたい」「人のためになるようなことをしたい」「何をしたいんだろう」なんて22年生きる中で様々な夢を抱いてきた私は、学生生活も終盤に差し掛かっている今、何周も回って「自然の中で野菜をつくれる人間になりたい」という気持ちになったのだった。

その言葉を実現し、人間として人間らしく生きていけるように、精進していきたいと思う。

自分のいのち、家族、友人、すべてに、感謝の気持ちを込めて。

2020-07-25|
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です